旅立ち
〜 ケルトの国へ
9月1日 出発その1(成田空港〜ヒュースロー空港)
成田は何故かあわただしかった。成田空港でツアー用チケットをもらうための列に並んでいると、前に並ぶ女性たちが、新宿歌舞伎町で何かの事件があって、40人以上が死んだらしい、という話をしていた。耳をすまして聞いてたが、結局爆発事故なのか、爆発事件なのか、火事なのか、判らなかった。というよりその女性たちも原因はよく判っていなかったようだ。成田空港待合所のTVも音が小さく、映像しか見ることができなかった。とにかく歌舞伎町の雑居ビルで40人以上が死んだらしい、という中途半端な情報とそれに対するもやもやした気分を伴い、旅立つことになった。
一つ言えることは、人はよく僕に「アイルランドに行くの?危険じゃないの?」と聞くけれど、少なくとも僕がこれから行こうとしている村は僕の故郷=新宿より遙かに安全だろうということだ。
海外旅行は6度目だというのに、成田空港の搭乗手続きではすっかり初心者に戻っていた。どうも空港に対する苦手意識は薄れることがなく、どの順番でどこに行けばいいのか、その都度判らなくなる。やはり空港の物々しい雰囲気とどこか日本国内と違う空気とか緊張させるのであろうか。いや、実際旅行前の緊張というのが大きいんだろう。この成田での緊張感が、旅の始まりをいっそう引き立たせてくれるのかもしれない。
経由の英国まで選んだ飛行機はヴァージンアトランティック航空(VA)である。VAは、一人ずつに画面があり自分が見たい映画が見られ、TVゲームもできるのと、オプションがいっぱい付いてる*のが魅力である。そして理由は判らないが、何故か安心できる。飛行機機内ではうたた寝したり、ゲームしたりして13時間を過ごした。
*VA(成田→ロンドン間)9/1搭乗時付いてきたオプションの数々
ペン、メモ帳、靴下、ちり紙、手拭き、ハンドクリーム、アイマスク、耳栓、歯ブラシ、ミント・・・
これが初めから判ってたら耳栓を成田で買わなくてすんだのに。
9月1日 出発その2(ヒュースロー空港〜シャノン空港)
ヒュースローはいつ来ても大きい。イミグレーション通過後は、海外用ターミナル3から英国国内用ターミナル1まで香港上海銀行(再登場!)の広告を見ながら延々歩いて、さらに何やら幻想的な通路を経てアイルランド行きの各便が発着するゲートへ。途中特に迷うこともなかったのに、延べ2キロくらい歩かされた。すごい空港だ。
ちなみにヒュースローでは十分な空き時間があったため夕食を取ることにして、ターミナル1にあるレストランに入った。そこで何やら出てきたものが、もの凄い量のマッシュポテトにあんかけをかけてソーセージを添えた料理で、これがまたもの凄くどうでもいい味だった。これだったらあんかけじゃなくて塩コショウのみにしてくれた方がまだ親切だと思ったりもしたが、まあギネスをアイルランドに行く前に飲めたことで、プラスマイナスゼロと考えることにした*。
今回は目的地がシャノン空港近くであり、シャノンからの送迎サービスを申し込んでいたため、ダブリンには立ち寄らずヒュースローからシャノン空港まで直接行くことにしていた。
シャノン行きにはさすがに誰も日本人はいないだろうと思っていたが、さすが世界のどこにでもいる日本人。スーツ姿のビジネスマンが3人ほど見受けられた。
エアリンガスに乗り込み1時間ほど座っていると、やがて生涯3回目のアイルランドが見えてきた。いよいよ常若の国**にやってきた。その日シャノン空港は、アイルランドにふさわしく雨が降っていた。
*しかし後日クレジットカード会社からこのあんかけマッシュポテトと半パイントのギネスで1300円あまりの要求が届いたとき、料理への怒りがぶり返したのは言うまでもない。
**ケルト神話によると、常若の国(Tir na nOg)はアイルランドの西方はるか彼方の海にあるので本当はアイルランドじゃないが、アイルランドのB&B・歌手・Pub・果てはバックパッカーツアーの名称など、様々なところでこの名前が使われているから、今では”アイルランド人が目指す憧れ”の代名詞になっているようだ。常若の国に行ったオーシンの神話について知りたい人は、ケルト神話に関するHPを参照のこと。国内のサイトで”Tir na nog”を検索すると、沢山のゲームやイラストのページにジャンプできます。
9月1日 出発その3(シャノン空港〜ホストマザー宅)
出発が30分ほど遅れたせいもあり、シャノン空港に着いたときには、すっかり辺りは暗くなっていた。シャノンに着く最後の便だったようで、空港はとても静かで、ほとんど全部の店が閉まっていた様だった。到着ゲートを抜けると、すぐに僕の名前が書いてあるプレートを持った男の人を発見した。年齢50歳くらいであろうか、彼は簡単に自己紹介し、「飛行機が遅れたのかい」と実に当たり前の質問をしながら、僕の回答も待たずに乗用車に案内するため歩きだした。ホストファミリーってこんなもんかな、とぼんやり思っていた。
が、すぐにその思いは空振りであることが判った。彼はタクシーの運転手だった。タクシーといっても事前予約制(いわゆるキャブ)でメータも付いていなかったため、すっかりホストファザーの自家用車と勘違いしてしまった。どうも最初の自己紹介から素っ気なかったわけだ。しかし僕の誤解のおかげで、後の会話は適当に弾んだので、まあ怪我の功名だったといえるだろう。
夜のとばり(といっても9時頃だが)の中を車は猛スピードで走りぬけていた。彼はコロフィン唯一のタクシー運転手だそうなので、今までも数多くの留学生をこうして運んできているのだろう。彼にとっては最も適切なスピードでキャブはホストマザー宅に向かい、30分ほどでたどり着いた。村に通じる道沿いの素敵な家だったが、何しろ暗さと雨と寒さとで家の感想や感慨も整理できないまま、家のドアを開けた。
しかし、今度こそ会えると思っていたホストマザーはまたしても不在。代わりにホストマザーの娘さん(名前忘れた)が”フォルティタワーズ*”を見る事に集中してて気持ち半分になりながら出迎えてくれた。これまた一瞬ホストマザーかと勘違いしたが、さすがに僕より若くてマザーはないだろう、とすぐ思い直した。
一緒に”フォルティタワーズ”を見た後は部屋に入り、寒さをこらえあまり暖かくないお湯でシャワーを浴びた後、すぐさま深い眠りについた。「9月1日だというのになんて寒いんだ!!」これが長い長い9月1日の最後の感想だった。訪愛3回目なのに、すっかり喉もと過ぎて寒さを忘れてしまっていた。
*フォルティタワーズは、ホテルを舞台にしたイギリスのTVコメディー。日本でもビデオが出ており(今は廃盤らしい)、僕はたまたま昔見てかなりつぼにはまっていた。脚本・主演のジョン・クリーズはモンティ・パイソンのメンバーであり、映画監督・俳優として現在も活躍中。当時の妻が共同脚本および使用人役で出演している。知る限りたった12作品しか作られていないが、翌週読んだアイルランドのTV雑誌では、読者アンケートで心に残るTV部門第5位にランクインされていたし、BSでもひっきりなしに再放送されているようだ。
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