第2部 フラー・キョール編

shamrock 2 フラー・キョール前夜 <8月27日>



shamrock HR


行程 : ダブリン→クロンメル

 旅の後半は陽気な南の町でのお祭りに行くことが決まっていた。実はこの「フラー・キョール(Fleadh Cheoil na hEireann 2004)*」は北アイルランドツアーよりも楽しみにしていた。ここから先はこれまでの神秘的な風景と悲しみの歴史に覆われた北の雰囲気とうって変わって、その祭りの雰囲気や各種イベントの様子を中心に、陽気に書きたい。
 今年のフラーはクロンメル(Clonmel)という人口1万人あまりの町で開催される。ダブリンからはキルケニー経由クロンメル着のバスに乗り約3時間半**かかる。公式HPによると20万人の人出が予想されると有ったので、前日とはいえバスに乗れるかどうかの不安もあり、27日は朝からバスステーションに行き、早めに並ぶことにした。実際はぎゅうぎゅうではなく、全員椅子に座れずに行けたのだが、やはり事前に並んでいる時間も含め4時間トイレなしというのは少しきつかった。また、途中のキルケニーで乗り込み隣に座ったカップルが終点までずっといちゃいちゃしており(嘘じゃなく、移動時間の半分はキスをしていた)、何か気分が引いていた。

 やがてバスは市内に入る。先にクロンメルに行ってセットダンスのワークショップを受けている日本人の友達(ダンス仲間)がいたのだが、彼らとはこの町のどこかで会えるのだろうか、着いたら電話でもしてみようか、などとぼんやり考えているうちに鉄道駅(終点)に着いた。駅から窓を見たら、窓の向こうで彼らが驚いた表情で手を振っていた。旅先で仲間に会うのは嬉しいもんだ。ましてやそれが偶然の出会いだと、なおさらである。
 

クロンメルでの宿は民家

クロンメルの町から丘を臨む
 クロンメルに着いたのは昼過ぎだったが、再会した友達と飯をゆっくり食べたりしていたこともあり、そこからその日の宿に着くには少々時間がかかった。クロンメルもそうホテルがあるわけでもないため、この時期は町周辺の民家に協力してもらい、一時的なB&Bがあちこちにできる。僕が日本で予約しておいた宿もそんな民家の一つだったが、アイルランドに来てからは一向に相手の携帯に電話が繋がらず、連絡が取れない状態だった。オフィスで色々あった挙げ句全然違う番号を教わり、そこにかけてみたところ、宿からやっと応答があった。
 宿 「ああ、キヨ、連絡を待ってたのよ。」
 僕 「○○○番に電話したけどかからなかったんですが・・・」
 宿 「あ、前の番号は携帯が故障して電源切ってるわ。
 僕 「(心の声)・・・連絡できるかっ!」
 宿 「家のドアは開いてるから、勝手に入って。コーヒー飲んでいいから。」
 僕 「はあ・・・開けっ放しですか。」
 ということで、宿にたどり着いたのは4時半くらいになっていた。家は本当に開けっ放しだったが、誰もいない民家の台所でコーヒーを飲む勇気はなかった。

 時折音楽は聞こえるが、まだ静かな祭り前夜
 まだ本番前日とあって町はそれほど賑わっておらず、目抜き通りに露店が少々あって、何軒かのパブでミュージシャンが演奏している程度だった。それでも前日までに比べ全然活気づいてきたようで、フェイスペインティングをしている子供なんかも見かけたし、翌日に備え予行練習をしているパフォーマーもいた。なんか今日ここにいる観光客、パフォーマー、ミュージシャンたちはみな明日以降の本番を待ちきれずに来てしまった、という感じで、お祭り前日独特の高揚感のようなものが町全体を覆っていた。

 下のフラーの説明でも書いたが、基本的にフラー・キョールの主旨は伝統音楽のコンペティション、言うなれば素人のど自慢大会全国大会決勝(ちょっと違うなあ)であるが、その他にもフラーではコンサート、ワークショップ、パブでのセッション、路上音楽なども開催されるため、伝統音楽に携わる人達の交流の場としても大いに活用されている。***パブでドイツから来たミュージシャンの演奏をひとしきり堪能した後、路上のシャンノースシンガーに聞き惚れ、別のパブでクレアのミュージシャンとセッションをやってからケーリーバンドのコンサートを見て帰る、等といった贅沢を丸2日(正確には祭り自体は一週間だが、祭りが一番盛り上がるのは週末の2日間)楽しめるのである。

 またダンスをやる者にとっては、お楽しみは毎夜行われているケーリーであろう。名の知れたケーリーバンドの演奏で踊るセットダンスやケーリーダンスは、CDのそれとはまるで「のり」が違うと聞いている。そんな雰囲気を味わいたく、セットダンスケーリーの会場に足を運んだ。

パフォーマーも明日以降に備え練習中
 その日のバンドはSean Normanというあまりよく知られてはいないバンドだ。ケーリーの会場はこの祭りのために特設されたドームと言われる仮設体育館で、最初入ったときはひんやりとしていたが、やがて熱気が立ちこめ、もの凄い勢いで温度と湿度が上昇した。まだ祭りの前夜ということもありスタート時は8セットくらいしかできていなかったが、それでも時間がたつに連れどこからともなくダンサーたちが入ってきて、終わる頃には15セットくらいできていたように思う。
 ちなみにフラーでは、セットダンスだけを踊るセットダンスケーリーの他、ケーリーダンスとセットダンスを交互にやるミックスケーリー、ケーリーダンスだけでやる"Fior Ceili"の3種類が開催されていた。僕は3日連続セットダンスケーリーに出たため、他のケーリーがどうなっていたのかは判らない。ミックスケーリーの方が初心者が多いらしい。

会場には100人くらいのダンサーが

 その日のケーリーはプレーンセットでお開きに
 僕はこういった場でのケーリーは初めてだったが、多くの人が言うように、現地のケーリーは日本のそれとは明らかに雰囲気が違っていた。

 まず音楽。3日間を通してミュージシャンがダンスをリードし、まさに「踊らせていた」。ダンサーはミュージシャンの音楽に気持ちよく乗ること自体を楽しんでいるようだった。

 またダンサーは、基本的な型に対し2つも3つも遊びを加えていて、足も大いにバタつかせていた。それでも肝心な"拍"とかリズムとかは外さず、締めるところは締め、遊ぶところは思いっきり遊んでいるという感じだった。普段はぐるぐる回り続ける人でも相手のレベルや年によってきちんと軌道修正しており、非常に勉強になった。
 そんな感じで、まだ時間を多少余して午前1時過ぎ頃に初日は終了した。通りがかったパブも法律通り閉まっていた(翌日からの2日間は治外法権になるらしく、当然のように開いていた)。本当にこの祭りに20万人も集まるんだろうか?という疑問を感じ始めていた。

* フラー・キョール(Fleadh Cheoil na hEireann 2004)とは、CCE主催によるアイルランド最大の伝統音楽フェスティバルで、Fleadhはお祭り、Ceolは音楽という意味のゲール語。フラーの最大の目的は伝統音楽のコンペティションになるが、楽器やバンドだけではなく歌やダンスのコンペティションも含まれている。フラー・キョールは各地で行われているコンペを勝ち抜いてきた人が集まるため、そのレベルは高い。2年ごとに開催地が変わるらしく、2003-2004年はクロンメルで開催された。確かではない筋の情報によると翌年はレタケニーで開催されるらしい。ちなみにCCEとは何か?というと、CCE Japan HPからの引用によると「アイルランドの音楽、ダンス、言語などの伝統文化を継承し、それを世界中に普及している団体」とのこと。

** バスが定刻通り走れば3時間半だが、実際はダブリンの渋滞やキルケニー停車場のの待ち時間のおかげで4時間くらいかかった。ただ一般道は空いており、バスは制限時速を超えかなりのスピードを出して走っていた。たぶん、元々高速バスは制限時速オーバーを計算して時刻表が作られているに違いない。ちなみに慢性的な渋滞に悩まされているダブリンでは、バスに時刻表という概念はないように思う。

*** 実際コンペには興味がない、あるいは否定的でも音楽を通じた交流を楽しみに来る人もいるようだ。たとえば「アイルランド・自転車とブリキ笛」の著者デイヴィッド・A・ウィルソン氏はフラー・キョールのコンペティションについては「軍隊式の規律や堅苦しさは成長を押し殺す」「味気ないことこの上ない」と否定的であるが、一方でフラー開催地のパブでの音楽交流は大いに楽しんでいた。でもフラーのような仕組みが伝統音楽の後継者を育成しているのも事実だろうし、後述するがフラーの審査員は決して「味気ない」演奏を望んではいない。
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