第1部 北アイルランド編

shamrock 1 ギネスの国へ <8月21〜22日>




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2004年 8月21日


行程 : 成田→アムステルダム→ダブリン のはずが・・・

 8月21日午前9時、成田空港。さあいよいよこれからアムステルダムまでのロングフライトになる。初の北アイルランド、そして音楽とダンスの一大イベント「フラー・キョール」への期待を胸に、何回来ても一向に慣れない成田空港のチェックインカウンターに並んでいる。が、なかなか前に進まず、待つこと1時間。出発30分前になったころ、K○Mのカウンターがなにやら慌ただしくなってきた。係りの方があちこちに電話をしている。並んでいる客が少しずつ別のカウンターに呼ばれ始める。やがて、「だめだ、全部のチェックイン閉めて!」との声が・・・「何だ?」と思っていると、僕も係りの方に呼ばれ、説明を受けた。
「まことにすみません、予定していた飛行機のサイズが小さくなりまして、全部の乗客をお乗せすることが出来ません。」
 ・・・???どういうことだろう。飛行機のサイズが予定より小さくなった?仕立屋とかケーキ屋でなら聞いたことあるけど、飛行機って突然サイズが変わったりするんだろうか?頭の中を色々な想像が駆けめぐり楽しくなっていたが、向こうはそれどころではない。大急ぎで当日中にダブリンに着く飛行機を手配してくれた。
 さらに待つこと1時間あまり、「成田〜ロンドンを全日空で、ロンドン〜ダブリンまでをBMI取れました。ただし全日空はエコノミーが取れなかったので、ビジネスクラスで宜しいでしょうか?」とのこと。ここで「ビジネスなんて嫌だ!俺はエコノミーが良いんだ!」って主張する奴はいるんだろうか?と思いつつ、快く了承。そんなわけで往路は今後一生味わえないかも知れないビジネスクラスの旅となったのだった。

 ビジネスクラスは実に優雅だった。スペースは広々としていて、リクライニングは360度近くまで倒れる。離陸直後のシャンパンから始まり、続いてタコとエビのマリネ、間髪入れずオリーブと食前酒。食事(和膳)は数種類の前菜、小鉢を一通り食べ終わった後に二の膳としてご飯とおかず、さらに大皿のデザートまで出た。昔美川憲一が「一回エコノミーからビジネス、ビジネスからファーストクラスに移ったら、もうエコにミーには戻れないわよ。」と言っていたのを思い出す。

ビジネスクラスの食事は豪華でした

シベリア上空で功刀さんの曲が聴けた!
 あともう一個驚いたのは、全日空の音楽サービスで葉加瀬太郎さんセレクションがあり、功刀さんのCDが聴けたことである。僕は思わず聴き入ってしまったが、よく考えるとその日持ってきていたMDに功刀さんの曲も入っていたので、わざわざ機内サービスを使って聴く必要はなかったのだが。

 やがて飛行機はロンドンに上陸した。ここで荷物を乗り換えるため一回エミグレーションが必要になったのだが、成田での事情を説明すると、全日空の係員が慌てて凄い速度で出国管理まで誘導してくれた。おかげで100人あまりの列をすっ飛ばし、厳しいことで有名な英国の出国管理をノーチェックでくぐり抜ける事が出来た。さらに調子に乗ってBMIの係員に説明し、BMIチェックインも50人くらいの行列を飛ばして別カウンターでさせてもらった。で、出国ゲートに着いたら飛行機は一時間遅れ。ここまで汗をかきながら走って、全部の行列をすっ飛ばした意味が・・・
 まあそんなこんなでロンドンからアイルランド・ダブリンへ。到着した頃は、当初のアムステルダム経由予定の時刻を大幅に過ぎており、午後8時近かった。早速宿に電話*をかけようかと思ったが、電話番号が判らないためCITY CENTERから歩いて探す。道に迷いつつも宿に到着し、一息ついた頃には9時半を回っていた。疲れてはいたが、ここで寝てはもったいないと、土曜日セッションが行われると聞いていたパブ「Huges」へ足を運んだ。
 Hugesでのレベルの高いフィドラーたちの音楽に耳を傾けながら、隣のアメリカ人旅行者とたわいもない話しをする。確か、アイルランドの大飢饉以降のアメリカへの移民と人口推移のような話**だった(何でそんな話になったんだろう?)。やがてギネスが疲れている体にいい感じで回り始め、目がとろんとしてくる。「ああ、やっとアイルランドに着いたんだなあ」と実感した、至福の瞬間だった。

ロンドンに着く直前の空景色
* 数年前までは当たり前のように使っていたプリペード携帯だが、最近は携帯屋では扱ってないようだ。この辺の事情はよく判らなかったが、僕はドコモのWorld Walkerというサービスを利用して、自分の番号を変えないまま海外で使っていた。受発信通話料は高いが、成田空港で電話機をもらえるし、楽は楽。

** アイルランドでは1845年のジャガイモ大飢饉直前南だけで650万人あった人口が、飢饉時の死亡と移民、そしてその後の貧困や政治的混乱による継続的な移民により、1960年頃には300万人を切っていた。現在は逆に人口が増加し続けており、むしろ80年代後半からの高い経済成長に伴い労働力不足に陥り、2000年からは海外から母国へのアイルランド系外国人還流政策が始まったらしい。また昨今は東欧などからの移民も多く、2002年時点の総移民数は15万人、治安の悪化なども含め、50年前とは逆の移民問題が起きている。今までアメリカやイギリスに自由と経済的幸福を求め移出してきたアイルランドが、今度は自由と経済的幸福を求め諸外国から移入してくる人達をどう受け止めるべきか、「豊かな国」アイルランドの姿勢が試されているといえる。でも何でこんな話になったんだろう?

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2004年 8月22日


行程 : ダブリン滞在(ギネスストアーハウス)


この朝食を待っていた 
 朝、カフェを兼ねているゲストハウスで朝食を済ませ、ここに持って来損ねたものやここでしか買えないCD等を探しに中心街を歩く。久しぶりに歩いたダブリンは・・・高かった。
 ギネスなんかも、4年前に比べてかなり値上がりしていたように思う。物価の高さは景気の高さ、好景気*なのは喜ばしいことだが、貧乏旅行者にとっては切なかった。

ベンチを占有するブロンズの主婦たち
 さて一通りの用事をすませ、インターネットカフェで到着報告をした後、余った時間でギネスストアーハウスに行くことにした。どんな所かよく判っていなかったが、一番ギネスがおいしい場所、というのを何処かで聞いたことがあったので。
 
 バス停を降りてからギネス工場をぐるっと一回りするとストアーハウスの入り口が見えてきて、何だろう、ポップコーンが焦げたような香ばしい匂いが漂ってきた。
 ここでは、1階から7階までギネスの歴史や製造工程、出荷工程なんかを学びながら螺旋上に登っていく。最初の製造工程は目と耳と鼻で感じる事が出来て、なかなか面白い趣向である。中だるみをクリアした頃、最上階にたどりつくと、そこには座る事は毛頭期待できないほど混んでいるパブがあった。さて、何はともあれパブでギネスを、ということで早速注文し、舌鼓を打った。

ギネス工場の門もまた、ギネス色

釜や樽を象った小部屋で製造工程を学ぶ
 ・・・が、うーん、どうだろう。何か他と比べて凄くおいしい!という感想は、残念ながら抱けなかった。むしろ、「日本のアイリッシュパブで飲むギネスと大きな差がないかも」という感想を持った。
 日本のギネスは確かにおいしくなってきている気がする。もしくは、日本でギネスを飲み過ぎて味が音痴になったかも知れない。

やっとたどり着いた最上階は、激混みだった
 ストアーハウスを後にし、途中で中華のテイクアウェイショップに立ち寄りつつ約45分歩いてゲストハウスまで戻った。今にして思えばここで買ったラムの蜂蜜&胡椒煮込み(名前忘れた)が、共和国内で食べた最もうまい料理だった気がする。中国って凄いなあ。

 さておき、翌日からはいよいよ北(部)アイルランドバックパックツアーだ。楽しみにしている僕に、翌朝ゲストハウスの主が真剣な顔つきでこう言った。
「北アイルランドに行くのか?あそこは人殺しの国だ。気を付けないと首を切られて殺されるから、十分注意しなさい。」
 ・・・その言葉が、アイルランドとイギリスの重く苦しい歴史と、宗教も絡んだ南北問題の複雑さを如実に表していた。過去の歴史が生んだ様々な感情のもつれを想像できない以上、彼の誤解や無知を責めることはできない。が、この誤解が解けない限り、アイルランドの統合などは夢のまた夢だろう。

ギネスストアーハウスの賑わいとダブリンの街
* ダブリンが、というかアイルランド全体が好景気を維持しているのは、ITを中心とした外資ハイテク産業が積極的にアイルランドに投資していることが大きい。内閣府発行「世界経済の潮流 2004年春」のコラム「二分化したアイルランド経済」によると、国民1人当たりのGDPはEU第3位の高所得国となっている一方で、労働生産性上昇率の高い部門は外資参入分野及びその周辺分野に集中しており、外資企業収益を除けば一人当たりGDPや労働生産性の伸びは以前と変わっていないという指摘もある。
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