小旅行特集
〜 Part4. バレン編(The Burren)



9月10日 ラヒンチ(Lahinch)

 Lahinchは厳密にはバレン(The Burren)*に属していない。バレンのあの寒々しい岩の高原とは違い、ここはどちらかというと暖かく気持ちのいいイメージがする美しいビーチが売りである。が、その都度章分けするのも面倒くさいのでこの章で記載。

 川沿いで先生に降ろしてもらい、そこから下流に向かって歩いた。乗馬クラブの散歩コースになっているらしく、途中馬とすれ違ったりしながら30分ほど歩くと、遠くに小さな町が見えてきた。透明なビーチとそのビーチに反射されて映し出されているカラフルな町の家々は、カメラで映し出される以上に幻想的で美しい風景だった。
 海岸にたどり着く。空は青く、アイルランドにしては珍しいくらいいい天気である。さらさらした肌触りのよさそうな砂地と澄んだ海水を見ているうち、だんだんと靴で歩くのがもったいなく感じられてきた。

 知る人ぞ知るサーフスポットでもあるらしいラヒンチの町に着いてからは一応自由時間ということになったので、先生お勧めの有名なTシャツショップ(Celtic T**)を立ち寄った後、人の少ないビーチに戻った。水は冷たそうではあったが、まだ日差しもあったし裸で海に入っている奇特なおじさんもいたので、裸足で海岸を歩き回ってみた。水は冷たかったが海岸の砂は予想以上に心地よい感覚だった。クラスメートと海岸を歩きながらぽつぽつと話をしているうち、いつの間にか帰りの時間になっていた。
 アイルランドは行く先々の町でまたもう一回来たい、と思わせるが、この町も同様またもう一回来たい場所の一つに加えられた。
 
* バレン(The Burren)の日本語での呼び名について、「バレン高原」というのが一般的かもしれないが、ここは高木邦夫さんの「バレンは高原ではない!」という主張を尊重し(実際海岸も含む地域と高原、というのは変だし)、「バレン」と表記することにしました。しかしアイルランド政府観光庁が「バレン高原」と表記しているので、日本においては「バレン」=「高原」のイメージはなかなか取れない気がします。

** ここは本当に有名な店で、日本では「ボウディッカ」さん等で輸入販売されていると思いますので、興味がある人はHP等で調べてください。当日は高いような気がしてTシャツを買わなかったんですが、今でも買わなかったことを後悔してます。


9月12日 バレン周遊(The Burren)

 <A map of the Burren>

 日にちのとおり、学校もアメリカのテロの話題でざわついており、エクスカーションどころではないだろう、という雰囲気もあったのだが、それはそれこれはこれ、ということでバレン周遊を楽しむことにした。しかしバレンを回る先生の車の中から流れるラジオで、「金曜日は国民の祝日として全ての店、空港、公共機関が閉まります。」という放送を聞いたときにはさすがに神妙な気持ちになった。

 Corofinを出た車がまず先に向かったのはキルフェノーラ(Kilfenora)。この町ではアイルランド風景画で有名な画家(名前が・・・思い出せない)の自宅に絵を見に行った。親切にリビングに迎えてくれていろいろと絵を見せていただいたが、惜しみつつ買わずに帰った。キルフェノーラはもうバレンだが、見渡すばかり石灰岩でできた丘陵地帯が広がる「あの」バレン*を目の当たりにするのは、この町を過ぎてからだった。

 次にお目当ての一つであったPoulnabrone Dolmen 通称「巨人のテーブル」に行く。ここは私有地で、入り口には車を止める場所もなかったが、先生が土地所有者に直接お願いして門の一番近いところに停めてもらっていた。バスツアーの場合はどこに停めるのだろう。
 ドルメンは修復工事後ということで、何というか、絵葉書やHPの案内のとおりの姿で建っていた。正直ドルメンそのものにはあまり威厳や威風を感じなかったが、その日はちょうど風が強く雲が厚かったし、僕ら以外人もいなかったため、本当に何かがいてもおかしくないおどろおどろしさもあった。昔の人の想像力をかきたてるにはバレンという場所は申し分ない条件がそろっているのかもしれない。

 ドルメンを見たらミニドルメンを見なくてはならない。ということで、巨人のテーブルから50mほど離れた場所に群れをなしている小人たちのテーブルへ。元は観光客が自分のドルメンをこの地に残していったものだが、もはや単なる観光客のいたずらではなく、一種アートのように連なっている。2千年後にはミニドルメンたちも世界遺産になるかもしれない。

 ドルメンを後にして、車はAillwee Caveに向かった・・・が、極貧留学生の僕には値段がちょっと、ということで引き返し、そこからゴールウェイ湾(Golway Bay)の方に向かった。途中これぞバレンという感じの石灰岩剥き出しの地形を通りながら、昔この地を復興するために大量に植林したが密林者(盆栽販売目当て)に全部ひっこ抜かれてしまった話などを聞いた。聞いたんだけど、英語だったしうる覚えだからだいぶ話が間違っているかも。

 しばらくするとゴールウェイ湾が見えてきた。右手は海だが左手は相変わらず石灰岩の丘がそびえている。湾の向こうにコネマラを臨みながらしばらく進むと、やがてバレン最北端の地、ブラックヘッド(Black Head)に差し掛かった。この辺は夏は観光地であるが、冬の気候は厳しい。日照時間も南にバレンの丘があるために極めて短く、始終暗いことからこの名が付いたのだと先生が説明してくれた。

 ブラックヘッド近辺でイルカがよく遊びに来る場所があるということで、海岸に降りてみた。残念ながらしばらく待ってもイルカは現れなかったが、Lahinchの穏やかなビーチとは対照的な荒々しい海を見ながら、暗く厳しい冬の暮らしを考えてみたりした。が、すぐに寒くなってきたため車に戻ることにした。
 −ここでの暮らしは寒がりの僕には無理なようだ。

 4時間バレン周遊の最後はリスドンバーナ(Lisdoonvarna)だ。9月になるとアイルランド中からこの町に人々が集まり、マッチメーキングフェスティバルを祝うのだった。その日は平日だったし、テロの翌日だったけど、リスドンバーナは町中が浮かれていた。9月中は毎日ほぼ全部のパブやホテルでダンスが繰り広げられているということで、確かに、通り沿いのダンスホールのようなパブから人声とダンス音楽が聞こえ漏れていた。時間が無かったのでほんの数十分しか中を見ることができなかったが、40〜60代くらいの凄い人数の紳士淑女がみなめいめいにダンスを楽しんでいて、見ているだけのこっちも楽しくなっていた。

 こうして駆け足のバレン周遊は幕を閉じた。9月にリスドンバーナ、ぜひ次回は泊まりで来よう。
* バレンというと巨石のモニュメントが数多く残されている事で知られているけど、もう一つ、バレンには非常に珍しい多種の蝶や植物が生息しているという特徴があります。しかし車の中から蝶をゆっくり探す余裕はなかった・・・
せっかくだからクロムウェル軍がこの地に攻め入ってきたときこの地を表現した(とされる)文章を付記します。要するにバレンは木も水も土も無いとこだ、と言いたかったんでしょうが、当時のクロムウェル軍の残虐性をうまく表現してるんで有名になったんでしょう。

The Burren.- 
Where there are no trees to hang a man.
 Where there is not enough water to drown him.
 And if you finally succeeded in killing him, it's too rocky to bury him.


** リスドンバーナは全国的に有名なSPAがあり、そこに人々が全国に集まってくるところから始まった。9月にフェスティバルが行われるのは穀類の収穫後で農家がもっとも手があく時期だからで、プロのマッチメーカーがこの町に人を集めて結婚相手を探している農家の男女をマッチメークしたところから、マッチメーカーフェスティバルとして名を馳せていった。
 リスドンバーナフェスティバルの詳細については"Lisdoonvarna Match Maker"のHPを参照してください。


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