小旅行特集
〜 Part1. コロフィン近郊編



9月5日 ダイサートオディー城(Dysert O'dea Castle

 5日(水)の夕食後、同クラスの生徒(日本人)3人で近くのダイサート・オディー城および教会に行った。場所は一応ホストマザーたちから「家から歩いて1時間くらい」と聞いていたが、地図もない中実際どこに「それ」が有るのかよくわかんない状態でとりあえず歩き始めた。アイルランドは高緯度だしサマータイム期間中は日が高いと言っても、さすがに夜7時近くにもなると日が傾きはじめていた。3人の日本人がたどたどしい英語で道を歩く様は周りから見たら奇妙だったかもしれない。
 距離がわからないときの1時間は本当に遠く感じる。ところどころ看板があったので道に迷うことはなかったが、徐々に暗くなっていく風景の中、人通りの全くない道をとぼとぼ歩いていると、引き返したくなる衝動に駆られる。そんな気持ちをところどころにある幸せそうな家の明かりや風に漂う干草の香りで紛らわせながら、やっと目的の城についたときは、すっかり辺りは暗くなっていた。

 直方体のその城はすっかり門が閉まっていた。資料によると、本城は15世紀終わりに領主Diarmuid O'Deaによって建立され、その後さまざまな領土争いに巻き込まれた後クロムウェル軍の占領を経て廃墟になったとのこと。1970年以降復興され今ではちょっとしたちょっとした博物館になっているようだったが、もちろん8時では中に入れなかった。城は外目だけ見た後、入り口に戻り教会を目指した。

 城の入り口付近のすっかり暗くなった野原を少し進むと、教会の建物の手前に、ハイクロスが時代に取り残されたようにぽつんと立っていた。ハイクロスとは5世紀以降のアイルランドでしばしば建立された身の丈の高い十字架のことで、修道院などで象徴として建てられたほか、庶民に対する教育や臨時教会的な役割を担ったとされている。特に初期・中期のハイクロスにはケルト色濃い組紐模様が刻まれている。ダイサート・オディーのハイクロスはわりとシンプルな模様だったが、いずれにせよここも修道院時代はちょっとした集落が形成され活気があったんだろう。
 分厚い雲とハイクロスとのコントラストは、今にも雷が落ちコウモリが飛び交いそうな、何とも言えない不気味な情緒をかもしだしていたが、不思議なことに恐怖心は全くなかった。

 8世紀にすでに建てられていたという教会は"St. Tola's Church"と言われている。今は屋根も落ちすっかり廃墟になっており、隣のラウンドタワー(円塔。使用用途も当時は30m以上あったようだが、今は尖塔が崩れ落ち1/3以下の高さになってしまっていた。
 教会の入り口のアーチは非常に有名なロマネスク建築であり、特に4段重ねのドアの一番外側の模様が特徴的である。12体の人間と7体の動物の首がアーチ沿いにずらっと並んで、教会に入ろうとする人を見つめているのである。*
 
僕らはこの何とも言えず奇妙な教会の門や崩れたラウンドタワーや教会横のお墓を、しばしの間会話もせずにぼーっと見ていた。やがてあまりに空が暗くなり、帰り道にも支障を来たす気がしたので、惜しみつつもその場を去ることにした。帰り道よく見ると草原は羊の糞がごろごろしていた。いろんな本で取り上げられているにも関わらず取り立てて大げさに保存していない遺産が、ここアイルランドにはごろごろ転がっている。

* 教会の首の描写については、堀淳一さんの著作「ケルト・石の遺跡たち」で細かく描かれている。
 また、ダイサート・オディダイサート・オディに関するHPとしては、以下のページがある。
  "The Book of O'Dea" ・・・ ダイサート・オディ城の歴史等に関するHP


9月11日 INCHIQUI湖(Loch Inchiquin

 この湖は初日に行った湖同様、Corofin中心地から歩いていける位置にある。日曜がいい感じで晴れていたため、散歩がてらひとりで湖まで徒歩散歩した。家からは40分くらいの道のりだったが、途中牛が大量に牧草を食べている風景(この章のタイトル写真)などがあり、散歩コースとしては絶好だった。
 特に、緩やかな長い坂をゆっくりのぼった先に突然視界いっぱいに現れた湖(左写真)は、まさに絶景だった。
 湖上には複数のボートが浮かんでおり、車も駐車場に数台停まっていた。みな思い思いの休日を緩やかに過ごしているようなのどかな風景の中、僕はしばしベンチに腰を下ろして湖やそこで遊んでいる人を見ながら時間を過ごした。何故かお約束の石切りもしてみた。一人で石切り。それなりに楽しかったが、ひとりメンコみたいなもので、すぐ飽きてしまった。



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