ゴールウェイアートフェスティバルの最中に出かけたのは正解だった。しかし、そこでどんな催しがあるかをチェックせずに、行けば何でもできると考えたのは失敗だった。実際アートフェスティバルの運営オフィスを探すのも手間取り、やっと見つけたところほぼ全てのプログラム(映画やら音楽やらパフォーマンスやら)がセールアウトになっていた。 |
しょうがないから街をぶらぶら歩く。元々お祭りみたいな雰囲気の街だが、確かにその日は街全体がもっとお祭りみたいになっていた。道の至る所にストリートパフォーマーがおり、めいめいの腕を競っていた。オープンカフェ形式のレストランやパブでは店の外に人が溢れかえり、土産物屋は観光客でにぎわっていた。 |

ストリートパフォーマー |

物乞いするロボット
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コリブ河の河口 |
しかし実際土産を買うのと街を歩くだけでそう時間をつぶせるものでもない。特に夜何も見ないで帰るのはもったいないと、Slamsaというアイリッシュミュージックとダンスのショーを予約する。
それでもまだまだダンスまでは時間がある。しばしスパニッシュアーチで休憩しながら、河をぼおっと眺める。この国に来て3種類目の河だ。 |
Slamsaは実のところあまり期待していなかったのだが、これが予想以上に面白かった。
すばらしいテクニックを持ったギター・コンサティーナ・イーランパイプらの競演、高らかに足を挙げるステップダンス、生演奏とダンスがマッチしたケーリーダンス、キリスト劇のダンスミュージカルなど、賑やかで楽しいあっという間の2時間だった。最後は国の名前を挙げて観客に手を挙げさせていた。200人くらいの会場に、実に20ヶ国くらいの人が集っていることが判った。これはすごいことだ。
もともとはこういう感じの商売用に作られた形の音楽やダンスはあまり好きではなかったが、作られたものだからと全てを否定するよりも、作られたものの良さをきちんと認識するのも大切だ。 |
ショーが終わったのが22時半だったので、すぐに帰らなくてはならない。試しに歩いて帰ってみようと思ったが、これが遠かった。途中寒々とした闘犬場(草原に血の跡があった)を通り過ぎるときは少し怖かった。
30分ほど歩くとちょうど休憩ができるようなパブがあったので、そこで1杯引っかけたところ、思わぬ拾いものがあった。パブの片隅で、老人と中年男性と少年とが、セッションをやっていたのだ。20にも満たないだろうその少年は、人生も音楽も大先輩の老人達のフィドルを聞きながら、見よう見まねで演奏しているようだった。彼らの演奏風景には、最近の「トラディッショナル音楽」という言葉に感じられる商業的な要素が全く感じられなかった。こういう風景が不意に見られる国がすごく羨ましい。 |
2000年 7月20日
行程 : ゴールウェイ → ダブリン
帰国前日ともなると、もう肉体的にも結構な疲労がきている。しかし同時にこんな疲れなら大勧化、むしろ帰りたくないという思いの方が強い。しかし帰らねばならない。帰らなきゃいけないから、行くのが楽しいんだろうから。
そういうわけでこの日はダブリンまで電車で帰る。イニシュモア島の太陽が腕に激しい痛みを引き起こしており、若干発熱もある。雨の用意は万端だったが、晴れの用意はしていなかったのが今回の失敗だった。痛む腕をかばいながら、ダブリンでは最後の買い物をした。 |

ダブリンの市場 |
最後の夜、再びパブへ。ホテルから15分ほど歩き入った町外れのパブでは、数人の中年男女がセットダンスを楽しんでいた。プロのセットダンスもいいが、本気で楽しんでいる素人のセットダンスもいいものだった。短いようでやっぱり短かった2000年の旅の最後は、やっぱり酒と音楽。 |