7月17日
2000年 7月17日
行程 : アスローン → ゴールウェイ → イニシュモア島(ホースコーチ)
17日の行程については珍しく、日本で2つの予約をしていた。ひとつはゴールウェイからイニシュモア島へのフェリー、もう一つはイニシュモア島でのB&Bだ。*
とにかくこの旅行ではなんとしてもアランに行くと決めていた。アランに行けば都会暮らしの僕らが忘れていたものがあるんじゃないか、という妄想があったに違いない。
すわ上陸。あれだけ多くの人が、予約していたツアーバスやレンタサイクリング、あるいはB&Bへと向かって散り散りになる。気がつくと僕は人の波から取り残され、キルローナンの港で波をぼおっと眺めていた。
さて、ここに来ればどうにかなると思ったが、今のところどうにもならない。今日はドゥン・エンガスに行ってみようと思ったが、距離感覚も掴めていない。とりあえず重い荷物をどうにかしなくてはいけないので、B&Bに行って荷物を置いてきた。
わりと小綺麗なB&Bだったが、ここのおかみさんはアスローンの彼女に輪をかけて、人と接することを楽しまない。普通に観光産業に従事している気のいい女性って感じだった。たぶんこの島の旅行バブルに乗じて引っ越して来たんだろう。イニシュモアはゲールタハトだけど、ここのおかみさんは英語しかしゃべれなそうな感じだった。
ちなみに夜はもちろんパブに出る。今回はパブの梯子をした。1件目のパブではゴールウェイから来た大工に声をかけられ、ちょこちょこ話をした。やはり今この島は建築ラッシュで、しばしばゴールウェイから家を建てにやってくるのだという。
1件目のパブで気をよくして調子に乗って入った港近くのパブでは、隣にこれまたゴールウェイから来た男に話しかけられた。
何故か彼らの反英感情の話になり、「俺は1916年の復活祭蜂起を忘れない!」という話に発展した。おまえ生まれてないじゃん、って思ったが、郷に入ったので郷に従おうと、何となく彼の話に歩調を合わせていた。
そこでギネスをおごってもらいながら20分ほど話した中で今でも忘れられないのは、「僕はアイルランドの歴史には興味がある。日本の歴史は興味ないが。」という僕の言葉に、悲しそうに反論した彼の言葉だった。
「なぜ祖国に興味がないのか。君は自分の両親や、その両親達の歴史をもっと知ろうとしろうとしなければ駄目だ。」
結構この言葉は重かった。今まで日本の歴史という言葉を、自分の両親や祖先の歴史、という言葉に置き換えたことはなかったからだ。そうか、そういう考え方もあるんだな、と妙に感心した。しかし私見では、自分の国の歴史に強い興味や誇りを持っている国(国民)はたいてい強い政治的イデオロギーや敵国を持っており、歴史が時に政治の道具になっているような気がする。
* フェリーの予約はIreland Ferries Teo. のHPで、B&Bは自力で予約しました。
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